高山基彦(青森テレビ・平成27年・社会人・東京電機大学卒業・土日コース)

山本先生と初めて話したのは、8年前の大学4年生直前の3月です。偶然見た勉強会のホームページに直感的に「何か」を感じ、山本先生に電話をしたのを覚えています。『私は本気でアナウンサーを目指す学生と一緒に闘います、最後の最後まで一緒に闘います。』山本先生が私に言った言葉です。私はこの方のもと、アナウンサー受験を頑張りたいと思い入塾しました。

残り一年の学生時代は、山本勉強会で山本先生とその一番弟子である若林先生にご指導頂き、アナウンサーになりたい一心で地方局を行脚。山形県の放送局を受験するため、大学の卒業式も休みました。しかし、どこの放送局からも内定が頂けず、一般企業へ就職しました。入社した会社では自分を騙し、夢を忘れたフリをして毎日仕事に励みました。
仕事にも慣れてきた社会人3年目のある日、仕事から帰り、自宅のテレビをつけると、そこにはかつて勉強会で一緒に頑張っていた仲間がアナウンサーとして活躍している姿が映っていました。とても輝いていました。 この瞬間、涙が溢れてきました。それは自分自身への悔し涙でした。

この翌週から、もう一度山本勉強会の土日コースを受講し、アナウンサー受験を再スタートしました。山本先生、若林先生にはアナウンス技術は勿論のこと、面接対策や授業時間外でもエントリーシートを添削して頂きました。しかし、社会人になってからのアナウンサー受験は学生時代とは全く違うものでした。社会人として経験している分、アナウンス技術や面接の会話など高いレベルの内容が求められます。そして、何よりも募集自体がほとんどなく、あったとしてもアナウンサー経験者を対象とするものが大半でした。その為、対象が新卒の学生や経験者であってもエントリーシートは送り続けました。

私が内定を頂くまで、学生時代を除いても200社近くエントリーシートを送りましたが、書類審査を通過したのは30社前後です。その中で最終試験に進むことが出来たのは4社程度でした。少ないチャンスの中、最終試験まで進めても不採用が続くと、 「夢を諦めて、あんな思いはしたくない」といくら思っていても心が折れそうになります。そんな時に山本先生は『内定まで、あと少しだ。』と私の背中を押して下さいました。この言葉がなかったら、私はまた夢を諦めていたかもしません。

30歳目前で、私はすでに結婚をし、家庭がありましたので、年齢としてもこれ以上アナウンサー受験は出来ないと考えていました。そして最後のつもりで受験した放送局から内定を頂けました。それが現在、私が働いている放送局です。内定の電話を貰った時、正直あまり実感が湧きませんでした。しかしその後すぐに電話で2人の先生方に内定の報告した時、心の底から実感が湧き、職場で一人、大号泣していました。

私はアナウンサーになる為に非常に遠回りをしたのかもしれません。ですが、山本勇先生と出会えたことが私の人生を変えた一番のきっかけだと思っています。私は山本勇先生、若林健治先生には心から感謝しています。